KOGA@異文化コミュニケーション

仕事で中国の湖北省に来ています。周囲の景色はストⅡの春麗のステージのようです。北京や上海とは全く異なる、昔と変わらない中国の風景が目の前にあります。
異なる文化背景を持つ方々と一緒に仕事をすることって、学生のころにはある種の憧れを抱いておりました。互いの文化の壁を乗り越えて共通の目標に向かっていくことに対して、何だか「崇高な」イメージさえ抱いておりました。根っこにあるのは「信頼関係」であって、そこを出発点にすれば必ずや理解し合えるだろうと。しかし、実際に異なる文化背景を持つ人々と業務をこなさなければならない場面にでくわすと、泣きたくなることが少なくありません。日本人同士でさえ仕事のコミュニケーションでトラブルが発生することは少なくないのに、根っこの文化背景が異なればその差異というものは何倍にもなって仕事に反映されてきます。「互いの文化の壁を乗り越えて共通の目標に向かっていく」ことは、友達として仲良くなることとは全くベクトルの異なる行為であって、容易に到達できる次元ではないのかもしれない。こんな風に思ってしまい絶望的な気分に陥ることが少なくありませんでした。
しかしながら、今回の出張で日方と中方のエンジニアの方々がお互い言葉も通じないのに、身振り手振りで意思を疎通しあっているのを目の当たりにしました。そこにあるのは間違いなく異文化を超えた何かでした。「技術」というお互いの共通のバックグラウンドが、結果として「信頼関係」を産んだ場面でした。これを見て、自分が以前にギターを通じて異文化の方々と意思を疎通し合えたことを思い出しました。
信頼関係というは「根っこ」ではなく経過点であり、それを生み出す源泉となるものは、お互いが持つ何か共通の「触媒」のようなものなのかもしれませんね。